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連載コラム「イソマイの建築楽」第2回は、前回(世田谷編#1 世田谷区本庁舎建て替えプロポーザル 世田谷区本庁舎公開プレゼンに行って来た!)の続きです。
同庁舎建て替えは、既存の建物(現区民会館)やケヤキ並木、池、レリーフ等を「残す」ことを考慮した案が
評価され選ばれました。今回は「なぜ残すことが選ばれたのか」について、考察します。
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■ #2 世田谷区本庁舎 既存の建物と前川國男
世田谷区民会館、第一庁舎、第二庁舎の既存建物(現庁舎)設計者は前川國男です。前川國男は、現在の東京大学卒業後渡仏し、近代建築の巨匠ル・コルビュジエのアトリエに1928年に入所しました。コルビュジエが手掛けた日本に一つだけ存在する建築は、上野公園内に建つ国立西洋美術館。同館は、「ル・コルビュジエの建築作品-近代建築運動への顕著な貢献-」の構成資産として2016年に世界文化遺産に登録されています。
そして、同館の前に建つ東京文化会館の設計を手掛けたのは前川國男。異国の地で結ばれた師弟の作品が、こうして日本で向かい合っているというのは、なんとも素敵なことですよね。
前川國男は世界情勢の影響を受け2年で帰国し、レーモンド建築設計事務所に5年勤務。さまざまなコンペに果敢に挑戦し、15時以降はコンペの準備のために時間に費やしていたそうです。
公共の建築は、お金を出す人、設計する人、造る人、使う人がすべて異なるので、すべての人にとって良いものを創ろうという、強い意志がないと良いものは出来ません。相当な労力だったと思います。
また、昔の様にお金と時間をかけて作れない事情と、そもそも作れる技術者も少ない・・・世田谷区本庁舎はそんな時代を作って来た巨匠・前川國男による1959-1969年の建築物なのです。
果たしてそのまま壊して良いものか?と考えるのは、ごく自然なことかもしれません。しかし、老朽化が随所に見られ、時代と共に使い辛い建物となって来ていました。そんな背景のある今回の本庁舎立て替えプロポーザルは、「提案を踏まえながら、人・組織を選ぶ」プロポーザルでした。
建築物はかつて「権力の象徴」だった時代もありましたが、世田谷区民会館、第一庁舎、第二庁舎は、市民が自由に行き来でき、親しみやすい庁舎であることが元々のテーマでした。ですから、圧迫感のある「権力の象徴」的な建物の案は適さないと思います。
既存部分を残す、残さないに関わらず、立て替え庁舎の設計者として最終的に選ばれた佐藤総合計画のプレゼンを聞いた時に特に伝わってきたのが、「既存の建築物(現庁舎)に対するリスペクト」と、「現在そして将来ここで働く人、市民に対しての配慮」でした。この案は、担当者の顔が見える事や、工期やコスト、持続性、すべてのバランスが他社と比べて良かったのではないかと思いました。
創業者の佐藤武夫がかつて、現庁舎建設時のコンペを前川國男と競ったという物語性も印象的でしたし、休日も人の気配が感じられるように、けやき並木側に賑やかな区民会館や池の広場が残る配置も良かったと思います。
このように、時代のニーズをしっかりと反映した案が選ばれました。使う側である私たち市民は、この建物を「地域の財産」ととらえ、すばらしい建築ができあがるために協力しませんか?案にある「区民交流の場」を盛り上げていくのはきっと、私たち区民ひとりひとりです。
【コラム:イソマイの建築楽(ケンチクガク)】世田谷編#1 世田谷区本庁舎建て替えプロポーザル
http://futakoloco.com/column/isomuramai/3506
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