アメリカ、オレゴン州ポートランドにやってきて「どうぞのごはん」を何度かいただいております。ポートランドでプレイスメイキング(交差点に住民で絵を描いたり、交換ボックスを作ったりする)といったコミュニティアクション(街角をアートしてコミュニティスペースを創出する)の活動をしているCityRepairの集まりには、必ず飲食が付いています。
飲食代はいつもドネーション。
一緒にやって一緒に飲み食いする、やはり、それがコミュニティを形成するときには大切だという事かなあと。それは、日本もアメリカも変わらないのではないかと思います。
たとえば、学校のクラスもひとつのコミュニティ。イジメがあったとか、クラスで何らかのトラブルがあったとき、先生、子どもたち、保護者の人たちが一緒に何か作って食べたりする事で何となく解決できる時があります。子どもたちは、「いじめてはいけない」事はわかっているはずで、いけないのに、やってしまったのには、やらずにはいられない「何か」があったはずなのですが、その「何か」を見つけて解決するのは大抵の場合とても難しい(とても個人的な事情だったり、見えにくいことも多いので)。特に低年齢の場合はまだまだ未熟な人同士なので、厳しく追及したりということが本当にいいことなのかどうか。やられた方にしてみればビシッと言ってくださいという気持ちもわかるし、それが大切な時もあるだろうけれど、そうすることが、果たしてプラスになるのか。
何事にもベストな方法があるのだろうけれど、とりあえずベストでなくても一歩でも進めるように、できるベターな方法を考えて実行することを私はいつも考えるようにしています。学校のクラスでのトラブルの場合は当事者の「ごめんね」のあとに、そのコミュニティに関わっているオトナも子どもも、一緒に遊び、一緒に食べることで、次の難しい問題を解決し易くできるのでは。
「コミュニティー」というコトバに「ティー」が含まれるように、そこには「ティー」が必要なんだ、とCityRepairのマットが言っていたけれど、何かしら一緒に作業をして飲み食いをすると、何だか人はハッピーになるように思います。
人は、みんな、平和に楽しく笑って過ごしたいんじゃないのかな。
プレイスメイキングの現場には、飲み物と食べ物があります。作業を手伝えば、自由に飲み食いできます。
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