みきちゃんの水辺観察日記:「春告げ魚」マルタウグイレポート#11 大雨後の多摩川 はこちら
みなさん、こんにちは。
気が付けば5月に入り立夏も過ぎてしまいました。「春告げ魚」マルタウグイの産卵床づくりから2か月が過ぎようとしています。
前回のレポートからも、ずいぶん間が空いてしまいましたが、どうやら今年、私たちがつくった産卵床でマルタウグイの産卵行動を見ることはできなかった、とお伝えせざるを得ないようです。
このマルタウグイ産卵環境づくりは、まちづくり団体二子玉川エリアマネジメンツとの共催で実施していますが、先日、同法人の担当理事である「輝さん」(中村輝之さん)から【マルタウグイ産卵床観察2020 終了宣言】がありました(記事はこちら)。
毎年、地域の仲間と思いを込めてつくる産卵床。今年は特にいろいろなことが重なって、みんなの思いはより強く大きいものだったと思います。今年、産卵床でマルタに会えなかったこと、悲しく思う方もいらっしゃるかもしれません。私もほんとうはちょっとだけ、さみしく思っています。
では、産卵床はどうなったのか。マルタは、どこに行ったのか。観察記録から、振り返っていきますので最後まで、読んでくださったらうれしいです。
4月16日(木)晴れ 観察時間5:40 気温10℃
大雨後の様子を投稿した前回記事の翌日、早朝です。水量はまだ多いものの、うっすらと産卵床の石組みが見えます。跡形も無くなったかと思われましたが、ちょっぴり安心。このまま、もうすこし様子見です。
この日は、産卵床下流、川崎側の瀬周辺にたくさんのカワウが陣取り、狩りをしていました。雨で瀬の下がえぐれて深くなったようで、そのふちにはたくさんの背びれが見えました。マルタか…!?とドキドキ。瀬をかけ上る魚影も何度か見たものの、産卵行動ではなく1匹ずつ上っていきました。マルタではなくコイの群れのようでした。
4月19日(日)晴れ 観察時間14:00 気温22℃
18日に再び雨が降り、産卵床はまたまた水没。雨後の濁りもまだあります。雨が続くと、川底の石は人間の力なしで流れに洗われてきれいになります。川の形も、1か月前とはずいぶん変わってきたようです。
15時頃、野川水道橋のすぐ上に、マルタの群れを確認しました。間違いなく、産卵行動です。
1週間ほど前からこの地点より更に上流で産卵が確認されており、それがゆっくりと下流へ波及してきたのでしょう…。
普段と比べてもこの日の野川は特に澄んでおり、美しい婚姻色がよく見えました。
橋の周りには皆それぞれ「社会的距離」をとりつつも、同じようにマルタを眺める人々がいて、「来ましたね~」と言葉を交わしたり、目が合えばなんとなく頷いてみたり。
ああ、このまちは、かわのまちだなあと思いました。私たちの産卵床でも、会いたいなあ。
4月25日(土)晴れ 観察時間14:30 気温16℃
雨が去って、しばらく。水も落ち着きました
産卵床の石組みはおおかた流れてしまったようです。木が引っかかっていたり、ところどころ水面がうねっているのは運び入れた石のなごりかもしれません。
川自体も変わっています。まず、川崎側にあった平瀬と洲は、削れてほぼ無くなりました。
うまく撮れていませんが、ウがちょこんと乗っている部分だけが、残った洲です。
産卵床下流の深くなっているところ。ここは真ん中がさらにえぐれて深くなりました。白く見えるのが川底です。
全体的に瀬が世田谷区側(左岸)に寄り、流れも急になったようです。
産卵床は変わる前の川の形を前提に、魚の通り道を予測して作ったもの。流される前と同じように作ることはできません。川底の石も洗われた今、ここはもう手を入れず、自然に任せてみるのがよい、と判断しました。
多摩川でのマルタの産卵シーズンは5月に入る頃まで。そろそろ終わりに近づいてきています。あとは、待つのみです。
4月26日(日)晴れ 観察時間14:40 気温22℃
再び野川。水道橋の下流で、マルタの群れを確認しました。ぱっと見前回の半数以下の小さな群れです。産卵行動ではなく、固まって上流へと向かっているようでした。産卵にいい場所を探していたのかもしれません。
レポートの最後に
私がマルタの群れを確認したのは、多摩川でも野川でも、この4月26日が最後になりました。冒頭でも書いた通り、手作り産卵床での産卵行動は、今年は確認できませんでした。
でも、このレポートではそのことを、読んでくださっているみなさんにただ「残念なお知らせ」として伝えたいわけではありません。
今年は何十年前から一人で産卵床づくりをしてきた地元の名人・谷津田さんがいない、初めての春でした。それは同時に「これからも産卵床づくりを続ける」ことを決めたわたしたちの、初めての春でもあったのです。
私自身、小さな動きに一喜一憂し、いろんなことを手探りしながら、改めて主体的に産卵床に関わりました。そうしてみて、谷津田さんが毎日川を見ていた意味がよく分かったのです。変化のない日など、ありませんでした。
それが川や自然。そして、まちの仲間と春を待つことがなによりも楽しみな日々でした。ずっと昔も、このまちの人はこんな風に春を待っていたのでしょうか。谷津田さんが守っていてくれなければ、失われてしまっていたかもしれません。
こんな今だからこそ、今度は私たちが子どもたちに残していきたいな、と思います。
来年も、その次の年も、きっと同じように川の変化に悩まされることでしょう。でも、川を観察しながら、一喜一憂を積み重ねていくしかありません。
来年、そしてそのまた次の年も。
菜の花がつぼみを持つ頃に。
声なき合図が聞こえたらまた、河原で会いましょう。
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