【ロコ+語りスト インタビュー】#2 松本順一さん(玉川町会 第17代会長)

 二子玉川で活動する「ロコ」に自分の思いを語っていただく【ロコ+語りスト インタビュー】シリーズ。第2回は2020年6月に玉川町会第17代会長に就任した松本順一さんです。

松本順一さん

二子玉川DNAの伝承者

 松本順一さんは、生まれも育ちも暮らしも二子玉川。さらに言えば、二子玉川の地で創業した、祖父の代から続く魚屋「魚政」(2013年3月に閉店)を父親から継ぎ、これまでの人生の大半の時間を二子玉川で過ごした生粋の二子玉川っ子です。

 母親が二子玉川小学校の1期生でご自身も卒業生。現在はお孫さんが通っているというから、二子玉川小学校との関わりは親子孫4代にわたります。松本さん自身、同校PTAの会長を務めたこともあり、人口が急増しさまざまな地域からの転入もある現在の二子玉川の街では、もはや二子玉川のサラブレッド。二子玉川DNAの伝承者、と言っても過言ではないでしょう。

自然と調和した「エンターテインメント・シティ」

 そんな松本さんに二子玉川の街の記憶をうかがうと、小さなころから親しんでいた「多摩川の河川敷、特に砧や鎌田地域の砂利の美しさや、緑が深い国分寺崖線の風景をよく覚えている」との答え。1951年生まれの松本さんは、高度成長期前のまだ汚染されていない多摩川で魚釣りをしたり、ボートに乗ったりしてよく遊んだそうです。

 一方で、まちなかの遊園地(二子玉川園)や映画館にも親しみ、川に面した料亭一帯の景色も記憶に残っていると話します。1969 年にオープンした玉川高島屋によって街はさらに人々でにぎわうようになりましたが、その前から「自然とマッチした商業が成り立った、エンターテインメント・シティだった」と松本さん。

2019年の瀬田玉川神社例大祭で総代としてあいさつ

「大好きな街のために」

 100年後の二子玉川のまちを見据えた時、松本さんはどんな街であってほしいと思っているのでしょうか?

 松本さんは、「これからも、繁華街一辺倒の街ではなく、自然を取り込んだエンターテインメントの姿を大事にした、安心安全に過ごせる街であってほしい」と言います。そして、そのための決め手は「ここで暮らす人々がこの街を好きと思っているかどうか」。

 近年、二子玉川は「住みたい街」として高評価を得ることも多いですが、それは必ずしも「好きな街」と同じ意味ではない、と松本さん。

 松本さんは、「その街を好きである最大の理由は、その街の人々のつながりにある」と言い、その人々やコミュニティを大事にしたいという思いが、地域の清掃活動や防災活動への参加となり街の安心安全が保たれていく。玉川町会の会長として、「二子玉川の街を好きな人が増える、そういうまちづくりを目指していきたい」と松本さん。

 松本さん自身は、もちろん「二子玉川が大好き。この街で生きてきて今、幸せを感じている」と笑顔で話します。町会活動や先日、永年勤続40年で表彰された消防団の活動などの仲間や先輩たちの後押しがあったからこそ、町会長職を引き受けることに決めたのだそうです。

大先輩や仲間たちに囲まれて(2017年1月玉川町会新年会で)
2019年台風19号義援金を保坂展人世田谷区長へお届け

町会活動は「コミュニケーションをつくる場」

 今後、人口が増え、新しい世代や層が街の構成員として加わってくるなか、町会活動は二子玉川の街を好きになる人を増やすための「コミュニケーションをつくる場」。松本さんは、今後はそのあり方を考えていきたいと話し、インタビューを結びました。

新年会ではいつも三本締めの音頭を

※インタビューは2020年12月25日Futako Fun Baseで行われました。

※この記事は二子玉川で活動する「ロコ」が自分の思いを「語る」インタビューを元にした記事のシリーズです。「ロコカタリスト」は、地域の人々(ロコ)が新しい価値を創造する触媒(カタリスト/Catalyst)となることを想定した造語でもあります。

この記事を書いた人

こばなお

futakoloco 編集長&ファウンダー。二子玉川在住20年。主に公民連携分野のフリーランス・ライター/エディター。法律専門書出版社勤務と米国大学院留学(高齢化社会政策)を経て、2016年〜2022年、自らの暮らしの場である二子玉川のエリアマネジメント法人で情報・広報戦略と水辺などの公共空間における官民共創事業に従事。最近は生まれ育った西多摩の多摩川および秋川の水辺界隈でもじわりわくわく活動中。

暮らしを起点にした「本当にクリエイティブな社会」のタネを自らのアンテナで見つけ、リアルに伺った物語を記録し続けることがいま、とっても楽しいです!