【レポート】砧南小学校で影絵紙芝居『ヒロシマの詩 ・母』上演と戦争体験のお話し

2012年の春、お子さんをお預かりしていたお宅で、とっても素敵な影絵紙芝居をたまたま見せていただきました。浜崎ゆう子さんという作家さんが作っている影絵紙芝居。
当時、「瀬田四丁目広場(現瀬田四丁目旧小坂緑地)利活用ワークショップ」に地域の「砧南グリーンズ」というグループのリーダーとして参加していた私。この影絵紙芝居を古民家で上演したらどうかと思いつき、小学校で読み聞かせをしていたグループの歴代の事務局さんや、砧南グリーンズで一緒に活動している仲間に声をかけて「浜崎ゆう子さんの影絵紙芝居上演実行委員会」みたいなのを作って夏休みに上演しました。
2013年には地域の読み聞かせグループ『せたぼん・瀬田の本棚』を作り、その年からそのグループでの上演に切り替え、演目に原爆詩人・大平数子さんの詩を集めた『ヒロシマの詩・母』を加えました。
毎年上演の前後に、2週間くらい浜崎さんに影絵をお借りするので、その間に瀬田四丁目旧小坂緑地以外の地域のディサービスや小学校、児童館など予定を合わせて何箇所か上演させていただき、2017年は7月17日の海の日に瀬田四丁目旧小坂緑地で上演しました。

今回、砧南小学校の読み聞かせグループ『モーニングスープ』さんから、この『ヒロシマの詩・母』をサマースクールで使わせて欲しい、とのご相談がありました。それも、今年から配置された司書さんと一緒に「絵本を通じて戦争を考える」というテーマだと。
願ったり、叶ったり。小学校では上演したかったし、『ヒロシマの詩・母』の上演の際に3月に瀬田四丁目旧小坂緑地で子どもたちと上演した『禎子と千羽鶴』の時に、戦争体験を語っていただいた95歳の北村さんにまたお話しいただきたいとは思っていたのだけど、瀬田四丁目旧小坂緑地の『影絵の夕べ』に集まってくれる方は小さなお子さんも多く、なんせ古民家ということで会場が毎年暑い。ご高齢の北村さんにご足労いただくことはできないなと断念していたのでした。北村さんに戦争体験を話してもらうには小学校のサマースクールは最良のシチュエーションかも。さっそく浜崎さんに影絵のレンタルの延長を確認して、北村さんと繋いでくれたせたぼんのメンバーに相談。影絵の上演と合わせて、北村さんにサマースクールでもお話しいただくことがトントン拍子で決まりました。

7月28日、小学校のランチルームに集まった4年生は70人以上。お母さんたちも参加してくださいました。北村さんの戦争体験(疎開や横浜空襲)から始まり、お母さんたちの絵本の読み聞かせ、北村さんへの子どもたちからの質問、影絵紙芝居『ヒロシマの詩・母』の上演。
お母さんたちで作ったプログラム構成は1時間の間、子どもたちを飽きさせることなく大人も子どもも一緒に戦争について考える時間となりました。

8月6日はヒロシマで、8月9日はナガサキで、72年前に投下された原爆の被害に遭われた方の死を悼み、恒久平和を願う祈念式典が行われます。

戦争体験をされた方がどんどん少なくなっていきます。でも、体験していないとしても世界唯一の被爆国に生まれた1人として、このような悲劇が繰り返されぬよう、できることをやりたい。生まれ育ちが九州の私は小学校の頃から、8月6日は登校日。「戦争はいけない。原爆はいけない。」と教えられてきました。そういうことを伝えることは、大切な教育であり、たとえ経験していなくてもできることはあるのでは、と思います。

95歳の北村さん。せたぼんメンバーの亀ちゃん、読み聞かせグループの代表さんとの打ち合わせ。

瀬田四フィールドミュージアム2017年影絵の夕べ

http://www.re-forest.com/seta4/17july2017.html#day

名称
世田谷区立砧南小学校
所在地
世田谷区鎌田4丁目3-1

この記事を書いた人

ゆか

サラリーマン時代に東急ハンズ玉川店、玉川高島屋を担当し、ここいら辺が気に入って移住。岡本の坂下に住み、母となり産んだ子どもたちはもうオトナ。2005年から鎌田で子どものアトリエを始め、2016年に大蔵5丁目「ゆいまあると3つの磁石」に引っ越し「子どものアトリエ」「映画とキャラメル」など、よくわからないことを展開中。NPO法人せたがや水辺デザインネットワーク事務局。