川さんぽ♯7 さようなら、水辺原っぱの三本桜

 台風19号が去った後、友達から「河川敷の三本桜がなくなっている」という知らせを受けたので、16日水曜日に見に行きました。吉沢の交差点から、ちょっと上流の二子玉川緑地運動場の「ピクニックひろば」にはぶたの遊具がたくさんあって、地域の人々には通称「ぶた公園」と呼ばれています。そこに、三本桜はありました。

2017年4月3日 花さんぽ♯10 原っぱ三本桜

 
 三本桜の近くまで、自転車で行けるかな~と思ったのだけど、泥がまだ深くて、はまって動けなくなりそうだったので、自転車から降りて長靴で歩いて行きました。

 三本桜は根っこごと、なくなっていて、そのあとはクレーターのようになっていました。

たぶん、これが、三本桜がもってかれたあとだと思う。

 ここを、どうやって水は流れていったのでしょう。3本の桜は一気に持っていかれたのかなあ。

同じような大きな穴があちこちにありました。ここには何があったんだっけな・・。
ぶらんこが、なくなっちゃってたの、という女の子がいたので確かめにいったら、根こそぎ倒れてた。
ぶたがいるから「ぶた公園」ぶたたちはうずくまっていたけど、娘(26歳)いわく、「大ぶたはいた?」いません。大きなぶたは流された。

 川は強い。私たちはとてもとても弱い。たとえ何も流されていなくても傷つき、傷つけあってしまうほど弱い。自然をコントロールするなんてことは、ちっぽけな私たちにはできないんじゃないのかなあ。

 台風が過ぎ去った12日夜中(13日未明)、月が煌々と。

13日の深夜2時すぎにあめますさんのフェイスブックにポストされた月。「氾濫警戒で緊急避難指示が発令された4、5時間後、あっかるいお月さんと穏やかな南風…。気象現象ってフシギ。」とのコメント(撮影:中西修一)

 日は沈み、また昇る。夏は暑く、冬は寒い。川は流れて風は吹き、大地は揺れる。そのことは、誰にも止められない。

この辺は、多摩川でも一番河川敷の広いところだそうです。三本桜を過ぎて、いつもストーンペイント用の石を拾いにいくところまで行ってみました。

 人が生まれてずいぶん時が流れてきました。ここ100年のあいだだけでも、戦争もあったし、工事もたくさんあって。家やビル、橋や鉄道や、ダムや原発、いろんなものを作ってきたのです。そこには、たくさんの知恵と思いがあって、人が快適に楽しく生きられるようにいろんな工夫をしてきたのだと思います。そのおかげもあって、今の私たちがいるのでしょう。
 でも、その途中に失くしてしまったものや、間違えもあったかもしれません。その時は正しくても、変わっていったこともあるのではないかなと思います。
 川は、強い。ゴーゴーと三本桜も飲み込んで流れていったこの原っぱに立ち、また、自分のちっぽけさを思い知りました。

いつもここで、丸くてきれいな石を拾います。

 毎年、クリスマスのあとに、お花屋さんにもみの木が帰ってきます。何年か前に「どこかに植えてあげられないか?」と相談され、あちこちに聞いてみたことがあります。川原にあったら木陰もできていいのじゃないかなあ、と思ってあめますさんに聞いたら、「絶対だめよ」と言われました。2018年9月、近所の自然農園がなくなるときに、大きな桑の木や、オリーブの木や、いろんな木が抜かれていくことになり、その時も同じように植え替えるところを探したのだけど、「川原には向かないよ」と言われました。

 三本桜が、いつどうやってあそこに植えられたのか、私は知りません。川原のど真ん中にある3本の桜、春になるとその周りでお花見をする人もたくさんいて、みんなを楽しませてくれて、夏には木陰を作ってくれました。私にも、他の誰かにもきっと、たくさんの思い出があります。

 ありがとう、でも、さようなら、三本桜。
 大きな自然を前に、私は、もっともっと、謙虚にならなければと思いました。

花さんぽ♯40 多摩川原っぱにも春♪

どうぞのごはん♯30 里芋の親芋の煮物~かわべ農園~ ①百合子さんとの出会いとちょいまち会 

名称
二子玉川緑地運動場
所在地
東京都世田谷区鎌田1丁目3−5

この記事を書いた人

ゆか

ゆか

サラリーマン時代に東急ハンズ玉川店、玉川高島屋を担当し、ここいら辺が気に入って移住。岡本の坂下に住み、母となり産んだ子どもたちはもうオトナ。2005年から鎌田で子どものアトリエを始め、2016年に大蔵5丁目「ゆいまあると3つの磁石」に引っ越し「子どものアトリエ」「映画とキャラメル」など、よくわからないことを展開中。NPO法人せたがや水辺デザインネットワーク事務局。
リニューアル前の旧コラム(2019年2月まで)はこちらから読めます