【特別寄稿】瀬田玉川神社シリーズ:瘡守稲荷神社 #4 第二のふるさと創生協会・全国お祭り手伝い隊プロジェクト はこちら
5. 第二のふるさと創生協会・鎮守の杜をモデルとした森作り(SDGsの森作り)①この森とは、どんなもの?
今回は前回ご紹介した、私も参画する「第二のふるさと創生協会」が進めるもう一つの事業、鎮守の杜をモデルとした森作り(SDGsの森作り)のお話です。
この植樹方法を提唱した横浜国立大学の宮脇昭名誉教授によれば、日本の国土の3分の2が“森林”とカテゴリーされますが、そのうち、人間の手が入っていない森は、0.06%しか存在しないそうです。
「アニメ日本昔ばなし」に出てくるような昔の日本の山は、「奥山」と「里山」に境界が分かれていました。「奥山」とは、人間が立ち入らない区域で、そこでは鳥獣類が生息し、水源が確保され、原生林が生息し、保水力もある生物多様性の山の区域です。
それに対し「里山」とは、人間が生活する上で、必要最低限の物を得る区域で、木材を切り出し植樹する循環があり(林業)、キノコや山菜を採ったり、薪を拾ったりと、人間が自然とのバランスを保ちつつ、手を加えながら循環させる区域です。しばしば、奥山と里山との境界には、神社や祠があり、先人達は奥山に入らないことを戒めとしてきました。
ところが、大東亜戦争の後、国策として日本の山々は杉・松・檜など木材になる樹種や、クヌギ・コナラなどの薪炭林にするための樹種が、奥山が刈られ山全体が林業の山として単色に植樹されました。
その後、昭和40年代以降から、外国産の安価な木材が輸入され、国産の木材の流通が滞り始めます。昭和50年代以降になると、一時期は隆盛した多くの材木店も立ち行かなくなり、現在では山の木材は切り出しても高くは売れない時代になりました。その結果、林業従事者は減少し、山は荒れています。
シカやイノシシ、サルなどの鳥獣類は山の幸が得られず、昔の奥山と里山の境界なく食べる物を探し出し、里まで下りてきて畑を荒らし、里の人々の生活を脅かす存在になっています。また、切り出されなくなった杉や檜などの単植林は、木材として大きく育てるための間伐も行われず、単色林の中に入れば、昼でも中は暗く、ヤマビルが大量発生し、人間が立ち入れないような場所も多く出てきました。さらに、成木しても切られない木々からの花粉が大量に飛び、花粉症アレルギーの原因にもなっています。
当協会としての提案は、ある程度、昔ながらの生物多様性の奥山を適宜適所に再現してくことにあります。
明治神宮の鎮守の杜が人工林であり、100年前に荒地に全国からの献木による植樹をした場所であることは、ご存知の方も多いと思います。全国の神社を見渡しても、各々の地域の人々の神社にかける思いや祭りにかける思いというのには、心から感服します。
そして、明治神宮のような生物多様性の鎮守の杜が、現在の科学では、約30年で作ることが出来ます。それが宮脇先生をはじめ、その知見を継承した先生方が提唱する「鎮守の杜をモデルとした森作り(SDGsの森作り)」であり、一般社団法人第二のふるさと創生協会が取り組んでいくプロジェクトの一つです。
日本人は木を植える民族であり、そのルーツは日本書紀にも記されます。杉、松、檜、槇、楠などの樹種が植樹されたと書かれていますが、もしかしたら、それらは他の民族がもたらした元々は外来種なのかもしれません。楠は日本では特例を除き、種を落としません。台湾あたりが原種であるとされ、樟脳が採れるため日本に持ち込まれたのかもしれませんが、この話は脱線するので、この辺りで鎮守の杜作りの話に戻ります。
当協会が行う植樹祭では、20~30種類の苗木を1㎡に3本くらい混植・密植します。混色は、自然界の山は街路樹のように規律正しく木々が生息しているのではなく、各々の環境に応じて様々な植物がバラバラに生息していますので、この様子のままに混植します。密植する理由は、高さ30㎝ほどの苗木を1㎡に3本くらい植樹することで、苗木が上に伸びるにつれて、苗木同士の葉の触れ合いを多くします。植物は日陰になると死んでしまうので、上に伸びて葉を広げようとお互いに競い合います。この競争原理を利用して、自然のままでは300年かかないと出来ない極層林と呼ばれる“となりのトトロ”に出てくるような立派な森を約30年で作ることが出来ます。
そして、こうした森は、多くの動植物を育むだけでなく、森のミネラルが川や里、海にも注がれ、環境を豊かにします。山は保水力が回復し、地下水も豊かになります。
さらには、この鎮守の杜は、まさに災害から私たちの命を守る森でもあります。
私たちの生活にも身近にあれば安心できる森について、次回にご紹介します。
(瀬田玉川神社シリーズ:瘡守稲荷神社#6 に続く)
文責 瀬田玉川神社 禰宜 高橋知明
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