【インタビュー】 東京農大「食と農」の博物館企画展 「美しき土壌の世界」 土壌肥料学研究室・加藤 拓教授 (後編)

【インタビュー】東京農大「食と農」の博物館企画展 「美しき土壌の世界」土壌肥料学研究室・加藤 拓教授 (前編)はこちら

加藤教授の現在の研究は農業が中心である。 しかし、もともと 「土がどうやってできてくるのか?」 が研究テーマであり、森林土壌にも詳しい。 前編では、「気候変動」という地球課題に対して、解決の糸口が日本の土壌にあることを伝えてきたが、後編では、原発事故が起きた福島で、土壌が果たしてきた役割を中心にお伝えする。

原発事故 (福島) と 土壌

前編で、「黒ボク土」 の炭素貯留能力を記述したが、ここでは放射性セシウムの固定能力を持つ土壌タイプを紹介する。

ギャラリートークで、福島の放射能汚染と土壌の関係を話す加藤教授 (6月29日)

東京2020オリンピックの際に、海外から懸念の声が上がったにも関わらず、当時の首相は招致を進めた。 具体的な文言はともかく、政治家が自信を持って誘致できたその有力な根拠は、チェルノブイリ原発周辺と福島第一原子力発電所周辺の土壌タイプの違いが土壌研究者によって示されていたからである、という。

福島 (阿武隈山地) の土には、放射性セシウムを動かないように固定する粘土鉱物が含まれていることが分かった。 水に溶けやすい放射性セシウムでも土中に染み込む前に固定するため、表土を5㎝剥げば除染は完了する。 一方、チェルノブイリ周辺はチェルノーゼムという土壌タイプで、放射性セシウムの固定能力が低く、ヨーロッパ各地にも影響を及ぼした。 そのため、東京オリンピック招致が海外で懸念されたのは無理もない話であった。

日本のどこでも大丈夫だったわけではなく、たまたま事故の発生地が福島第一原子力発電所だったからという事実。 今展示モノリスに福島の土壌はないが、展示のNo.15、17 が近いタイプである。 一方で「黒ボク土」とは異なり、このタイプは炭素固定能力が低いというから、土壌の組成は奥が深い。

ギャラリートークでも一部紹介された 【スライド】

二元論では考えたくない 未来の土壌

私たちはつい二元論的に、自然は崇高で人工物は悪いと考えがちである。

確かに人工地の中には、メタンガスなどの影響で人間が快適に過ごせないエリアもある。 だが今や人工地お台場には、戦後80年を経て素晴らしい森が形成されている。 鳥や植物などの生態系が新たにできていると聞くと、人工的に作った土壌も資源であり 「環境」 である。 自然に出来たものだけを享受する社会ではなく、人間が行為をすることで、より持続的な環境を新たに作るために、どんな工夫が必要なのかも考えたい。

自然の土壌を人間が改変したのではなく、初めから人工的に形成された環境
展示No.37 東京八王子市 「人工物質土」

多摩川氾濫の歴史 と 二子玉川の街

多摩川河川敷周辺に暮らす私たちは、幾度も川の氾濫を目の当たりにしている。 私自身の脳裏にも、2019年の台風19号後に変貌した河川敷の泥色が焼き付いている。

加藤教授は、多摩川の氾濫の歴史を授業で取り上げているという。 「宇奈根」 という地名が世田谷区と川崎市に分断されているのも多摩川の流路の変遷の結果である。現代では 「災害」 と捉えられる河川の氾濫も、かつては土壌の豊かさを形成し、そのために人が集まり、人口が増え、経済も生み出す元と捉えられてきた。

私たちが暮らす二子玉川も、川の氾濫の歴史をたどると、街の形成過程が見えてくる。 土地の活用は時代とともに変わっているが、どの河川を紐解いても攪乱があって今の街ができてきたという成り立ちの知識は、防災にも繋がるし、土地利用の新たなアイデアにも繋がってくるはずである。

農地に適した「川の氾濫でできた肥沃な土壌(沖積土)」

土壌ブームの火付け役 !?

最近、土壌関連の話題を耳にすることが多い。加藤教授へその理由を尋ねると、首を傾げながらも話題の名著の影響かもしれない、という。実は私も手にしていたのが藤井一至氏の2冊である。専門家も頷く専門的な内容を、自虐ネタや軽いジョークを織り交ぜながら読者を土壌の世界に引き込む術には舌を巻く。

加藤先生も太鼓判を押す、誰も魅了する藤井一至氏(土壌研究者)の著作と
現代土壌研究の巨匠、金子信博先生の近著

『みみずの農業改革』を執筆された金子信博氏は現在の土壌研究の巨匠である。温室効果ガス排出源とされる近代農法から不耕起栽培農法にシフトすることで、土壌に炭素が貯留できる注目の環境再生型農業実現についての記述もある。金子先生は現在、福島大学教授の立場で土壌動物を活用した不耕起栽培の実践研究をされている。

エピローグ : 加藤教授からのメッセージ

一度汚染されてしまった土壌を復元するのは今の科学では不可能です。 色々と研究もなされていますが、工業的にも農業的にも、成功した事例は世界中に一つもありません。明治時代に起きた公害 (足尾銅山事件) が全面解決したのは 2002 (平成14年)。 長い時間がかかりました。 チェルノブイリ周辺の土壌も核物質の半減期を待つと途方もない時間を要します。 だからこそ、私たち生き物に都合が悪い状況にしないように土地を使う、ということが大切です (6月29日開催 キャラリートークより)

“美しく深~い土壌の世界”に誘ってくださり、ありがとうございました(^^♪

取材日:2024年6月25日
場所:「食と農」の博物館
撮影: 小林直子

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名称
東京農業大学「食と農」の博物館
所在地
東京都世田谷区上用賀二丁目4番28号

この記事を書いた人

牟田由喜子

瀬田に移り住んで20年余り。二子玉川地域の魅力をしみじみ味わう今日この頃です。

早春には、多摩川河川敷や兵庫島の牧水たんぽぽ碑付近、タマリバタケ、玉川野毛町公園などでタンポポ・ツアーを実施したり、自然観察することで、みんなで社会や環境課題に向き合いたいと思っています。

人も自然も未来に続く日常のために、地域を愛でつつ、学び合い、対話を重ねる時間を大切にしたいという想いを込めて、サイエンス・ワークショップなども実施しています(^^♪