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今回のコラムは、建築物についてではなく、防災についてのお話しを少し。ブレイクタイムとして、思索にふけってみました。明日は3月11日。東日本大震災から7年が経とうとしています。あの時みなさんは何を思いましたか?
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■ 東京くらし防災 わたしの「いつも」がいのちを救う。
今年3月1日に東京都総務局総合防災部防災監理課から発行された、「女性視点」の防災ブック「東京くらし防災」
をご存知ですか?
都立・区市町村立施設や民間事業者等の都内店舗事業所9,000か所程度に設置され、無料配布されています。
(設置場所はこちら▶東京くらし防災設置場所)
表紙を開くと書かれている『わたしの「いつも」がいのちを救う。』が、私の中で響きました。いますぐできる15のこと。暮らしの中ですぐにできる工夫。本当にちょっとしたこと。
普段できること。でも、意識しないとできないこと、などについての工夫がこの冊子には詰まっています。
例えば「公衆電話の使い方を子供に教えておく。」(77ページ)
確かに…。早速教えました。読み進めて行くうちに、東日本大震災の時はトイレットペーパーが売ってなくて困ったよなぁ。ペットの問題もあったよなぁと、さまざまな出来事を振り返るきっかけとなりました。
当時私は、江東区の清澄白河駅と森下駅のちょうど中間地点にある、古い鉄骨造のアパートの2階に夫婦2人で住んでいました。午前中在宅で仕事をし、お昼を食べてから、午後、桜の綺麗な季節に近隣で行われる「ユニバーサルウォーク」という、身体的に様々な特性を持つ方達と一緒に街を散策するイベントの視察の為に、徒歩で門前仲町方面に向かっていました。
車いすの方はどの出口から出たら良いか、目の見えない方との待ち合わせ場所はどこが良いか、耳の聞こえない方との歩きながらのコミュニケーションはどのようにしたらよいか、凸凹のある道の有無、所要時間・・・オススメしたいスポットがたくさんあったので、時間内にどこをどのように回ったらよいかなど、メモをとりながら歩いていました。
「えんま堂」のある深川一丁目に差し掛かったあたりで、大きくめまいを起こしたような状況に陥りました。電信柱が波を打つように動いており、こちらに押し寄せてくるような感覚・・・今でも、映像としてはっきりと記憶の中に残っています。
携帯はつながらす、その時の一番の情報入手手段はツイッターでした。立っていられなかったので、塀から離れた場所で座って揺れが落ち着くのを待ち、家に引き返しました。途中何度も、次の地震の速報が携帯画面に流れてきて、止まっては進み、止まっては進みという感じ。家の近くに保育園があったのですが、お出かけ用のバギーに乗った子どもたちと、子どもたちを見守る先生の姿は忘れられません。
あの震災で私の中で一番衝撃的だったのは、人を守るはずの家が2次災害、3次災害を起こし、建築物によって苦しむ人が沢山出たことを報道で知ったときでした。
建物が崩れた事によって命を落としただけではなく、まだ住んで間もない家が流され、家もないのにローンだけが残った方々。高層マンションの上階に住んでいた家族が、エレベーターが動かず何時間も子供と会えない状況になり、その後引越しをした話など、今後どの様に建築と向き合えばいいのか映像を見る度に本当に苦しくなりました。
でも、悪い記憶ばかりではありません。停電で寒い中、助け合った仲間がいます。その時近隣との関係性の大切さを知りました。構造物などの「ハード」面だけではなく、人と人との関係など「ソフト」面の大切さを知り、私自身が地域のことを考えるきっかけとなりました。このことがあったから、子どもを持つようになってますます強く感じることになったのだと思います。
普段の何気ない行動が、自らのいのちを救うのです。ぜひ、ご自分の暮らす地域に目を向けてみてください。地域をよく知ることが防災につながります。「東京くらし防災」の「いますぐできる15のこと」の11番をぜひ読んでみてください。
『地域の行事に参加してみる』
です。
あの日から7年を迎え、私自身がfutakolocoの仲間になったきっかけが「地域をよく知ること」・・・ここにあると改めて感じました。地域の事、建築の事を少しでも知ってもらいたい。それが防災につながれば。
そして今日は、futakolocoの一周年です。
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