どうぞのごはん#31生のザーサイとまちづくり

おひさしぶりの「どうぞのごはん」になってしまいました。最初のどうぞのごはんを書いたのが2017年の2月12日。

どうぞのごはん♯1 チョコブラウニー@ゆいまあると3つの磁石

丸2年が経ち、futakoloco2周年を迎え、31回目。11月に里芋のことを書いてから3か月が経ってしまい、その間にも、たくさんのどうぞのごはんがあったのですが、お伝えしたいことが多すぎて?!、遅くなってしまいました。何について書こうか迷ったのですが、今回はひとつ、新しく出会った食材について。それは「生のザーサイ」。

ザーサイが畑にならんでいるところ

ザーサイといえば、中華料理食材で、みなさん、お漬物になっているものを使っていると思いますが、なんと世田谷の畑で生のザーサイを収穫し料理する機会に恵まれました。

生のザーサイみたことあるか?とひろしさん

生のザーサイを作っていたのは近所の畑。ひろしさんの農園は、小学校のすぐ近くにあります。娘たちが在学中からとてもお世話になっている地域のおじさんで、小学校の畑体験の授業もずっとやってきてくださっていました。昨年夏を過ぎて、ちょっと体調を崩されたということを聞き、できることがあれば、と数名で畑の作業のお手伝いをさせてもらうことに。そして、12月末ごろ、里芋掘りのお手伝いに行ったとき、その「ザーサイ」に出会ったのです。

おいしいのはここの太いところ

青々とした大きな葉っぱ。売られているザーサイは、その茎のほんの少しの部分です。根っこの上の5センチほどの部分。ここが一番おいしいようです。茎を離れて葉っぱの上のほうに行くにつれて、苦みが増すような気がしますが、葉も炒めるととてもおいしいおかずになります。からし菜の仲間らしく、大人向けの「アテ」かな?(どうもアテは方言でしょうか?「ツマミ」ですね、酒の肴)

JAに出荷されるザーサイたち

さて、こうして農業を続けている方もいますが、戦後農業を辞めてしまった方もたくさんいらっしゃいます。先日、80歳になられたご近所の方にお話しを聞く機会がありました。私は、国分寺崖線の下に住んでいるのですが、ちょうど、私の住んでいるマンションの坂の上あたりにずっと住んでいる方です。その方と、町会についてのお話をしているとき、戦中戦後のこのあたりのお話になりました。私の住んでいるマンションがあったところには、戦時中、大砲が5基ならんでおり、それを山に向かって撃っていた、と。周りはみんな農家。糞尿を運び、肥料にして農業をやっていたそうですが、終戦のとき小学校1年生。自分が大人になるときは、農家なんか絶対にやらない、一生懸命働いても全然金にならない、と思い、学校を出て東宝の撮影所で働いたそうです。

いろいろな大根を植えて研究。

 ひろしさんの農園では、冬の間、いろいろな種類の大根を作り、消毒の種類や回数を変え、大根を切ったときに黒くなるかどうか、の実験をしていました。今年の冬は、実験したどの大根も黒くならなかったそうです。ずっと農家の方は、工夫をし、いろいろな方法で美味しくて安くて売れる野菜を作る研究を重ねてきたのでしょう。

 まちは、そこに暮らしている人たちによって作られて—–.。作られて、というよりも、そこに人が暮らしていることでまちはできている。

ザーサイの葉っぱの部分は炒めて軽く塩などで味付け。ザーサイの辛みと苦みがツマミに。

 私は、自分の生まれた街を18歳の時に離れました。そして東京都内を転々として、ここに住み着きました。最近、「まちづくり」ということばがよく聞かれ、私も「まちづくり系のことをやっている人」と言われることがあります。学生時代は社会学を専攻していましたが自分自身には「まちづくり」をしているという意識はありません。今は、大学にも社会学系の学部には「まちづくり演習」のようなカテゴリーが増えているようですが、私は「まちづくり」ということばにはちょっと違和感を持っています。まちは、「つくるものではない」と思うからです。まちは作るものでも、作られるものでもなく、自然に「暮らしていること」、そのものじゃないのかな。

ザーサイの茎を塩漬けにしたところ、大きく切ってお弁当に。左の四角いアルマイトのお弁当箱は、大蔵の古いおうちで発掘したものをいただいた。

2011年3月11日に東日本大震災が起こり、福島で原子力発電所(原発)が爆発しました。8年経ってもまだ、多くの方が避難生活を続けています。(平成30年12月時点で43,214人)私は、この震災、それに伴う原発の爆発のあと、それまでの自分の無責任さを反省しました。そして、「暮らす」ということを考えるようになりました。

「まちあるき」のイベント用にお弁当を作りました。世田谷産ザーサイの炒め物、塩漬け、を彩りに。

震災当時、娘たちは長女高校生、次女中学生。長女に「ママ、大変だから、帰ってこなくていいよ」(地震発生時、赤坂で仕事をしていたので)と言われ、翌日の始発で帰宅したら、次女が、コートを着てマフラーを巻いて、ソファーで寝ていました。何か起こったら、すぐに、外に出て逃げられるようにして。怖かったんだろうと思います。当時はまだ父が生きていましたので、九州にも原発がたくさんありますし、突然、年老いた二人が家を出て帰ってきてはいけない、という状況を強いられたらどうなっちゃうんだろう?とも思いました。

ニンニク、オリーブオイル、塩コショウ、でザーサイの葉を炒めてもおいしい。

その日から、自分はどこで、どうやって暮らし、そこで自分がそこで何ができるのか、ということを深く考えるようになりました。そして、2014年に父が亡くなったとき、自分のまちはココ~多摩川と国分寺崖線に囲まれ、たくさんの仲間がいるこのまちなのかな、と思い、今に至ります。

2018年4月の「せたがや水辺の楽校開校式」のお魚のすみかつくりで(コバナオ撮影)

 そして私は、これまでの自分の人生でこのまちに暮らしている期間が一番長いわけですが、私よりもっともっと前からここにいる方がたくさんいらっしゃいますし、最近移り住んできた方もたくさんいらっしゃいます。人が増え、暮らしは多様化し、その関係性は複雑化しています。

 人が暮らしているから街ができます。人がどのように暮らすか。どのように関係していくか。そこで自分が何ができるのか。人が暮らし、関係するからこそ「まち」。そのことを大切にしたいな、と、思っています。

みんなの作った産卵床にマルタウグイがやってくる!

 3月。このまちの多摩川にはマルタウグイがやってきます。体調60センチの大きな魚をこのまちに迎えよう!そういう思いから生まれる人の関係性。次の「どうぞのごはん」では、「かわのまちアクション~マルタウグイの産卵環境づくり」の水辺ごはん会のレシピを大公開いたします!お楽しみに~

けっこう、必死で調理中。3月17日の水辺ごはん会にて(撮影テルさん)

~生のザーサイのお料理について~

茎の一番太いところは、そのまま、薄切りにして塩を振ってしばらく置いた状態でも十分お漬物として楽しめます。干して、同じように浅漬けにするのもオススメ。葉は、切ってごま油でいため、軽く醤油で味付けすると酒の肴にぴったりです。

どうぞのごはん♯30 里芋の親芋の煮物~かわべ農園~③ 里芋堀りと「里芋の親芋の煮物」レシピ

参考にしました→ふくしま復興ステーション(復興情報ポータルサイト)避難区域の状況・被災者支援

\参加無料/多摩川で魚の産卵床をみんなで作ろう!マルタウグイ産卵環境づくり

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この記事を書いた人

ゆか

サラリーマン時代に東急ハンズ玉川店、玉川高島屋を担当し、ここいら辺が気に入って移住。岡本の坂下に住み、母となり産んだ子どもたちはもうオトナ。2005年から鎌田で子どものアトリエを始め、2016年に大蔵5丁目「ゆいまあると3つの磁石」に引っ越し「子どものアトリエ」「映画とキャラメル」など、よくわからないことを展開中。NPO法人せたがや水辺デザインネットワーク事務局。