紡がれていく芸術の始まり 「坂本龍一 トリビュート展」 〈前編〉

2023年3月28日、一人の偉大な芸術家がこの世を去った。坂本龍一さん。私が彼の大ファンと知る小林直子(futakoloco編集長)さんが、NTTインターコミュニケーション・センター [ICC]にて開催中の「坂本龍一トリビュート展 音楽/アート/メディア」プレス内覧会へ取材してみないかと声をかけてくれた。12月15日の取材から少し時を経て、温まってきた今の私の想いを綴ってみる。

10代の頃(YMO結成以前)から坂本龍一という人を追いかけてきた私は、この「トリビュート」という言葉を単なる追悼ではなく、肉体が去っても彼が残してきたモノ、コト、そのすべてが芸術として紡がれていく始まりの展覧会であって欲しいという願いを持っていた。

2019年には玉川高島屋S・C(二子玉川)のXmasイベントにやってきた坂本さん。その時の彼の顔は、被災した東北ユースオーケストラを支援し、木を植え、守り、活用することで地球環境課題に向き合う「エコロジーおじさん」。平易な言葉やユーモアを交えた語り口で、市民の意識に訴えようと親しみやすさを演じていた。その「役」の彼として多くの人の記憶に新しいのは、神宮外苑の樹木伐採に心を痛め、病床で都知事に宛てた手紙を書いた彼だろうか。

けれど、そんな彼の「市民に寄り添う行動」は、地球へ、社会への問題意識を抱えながらも“音”そのものに愛を注ぐ「表現者の断片の一つ」だったのかもしれない。彼が残してきたものが、地球や自然、科学技術や異分野の表現活動などとも化学反応を起こしながら紡がれていくことを願う私にとって、このトリビュート展は、確かに、その始まりの展覧会なのである。もし、興味が湧いたらICCに出かけて欲しい。

◆「坂本龍一トリビュート展 音楽/アート/メディア」は、NTTインターコミュニケーション・センター [ICC](東京オペラシティータワー4F)にて、2024年3月10日まで開催中!

東日本大震災の津波で被災した宮城県名取市の高校のピアノ 撮影:高谷史郎(2018)

津波ピアノと能登半島地震

「写真とは、その時、そこに在ったという記録であり、記憶です。ICCで制作した坂本さんの作品のモチーフであるこのピアノの記録と記憶を今回のトリビュート展で展示することは意義のあることと考えました」

と語るのは撮影に挑んだアーティストの高谷史郎さん。このピアノはもっときれいにできたはずなんだけれど、「坂本さんが、絶対に掃除しないで!と言った」と語っている。

高谷さんが撮影したピアノの写真に添えられたメッセージ

坂本さんは2024年元旦に能登半島で大地震が起きたことを知らないが、自宅で揺れを体感し、能登半島での被害が甚大なものだと知った私は、能登の街並みや人々の暮らしに思いを馳せる中で、2017 年に ICC 「坂本龍一 with 高谷史郎|設置音楽 2 IS YOUR TIME」で見た津波ピアノの情景が重なって来た。

被災された方々に心よりお見舞いと一日も早い復興を祈る中で、もし、彼が在れば、今の能登半島の痛みをどう捉え、何を表現しようと試みただろう、と想わずにはいられない。

2017年12月ICCにて開催された、坂本龍一 「設置音楽2|IS YOUR TIME」展覧会は、東日本大震災の津波で被災した宮城県名取市の高校のピアノに出会い、そのピアノを自然が物に返したと感じた坂本さんのインスタレーションで、以下は、今回のキューレターでもある畠中実(ICC主任学芸員)さんが、2017年の展覧会に添えた文面だ。

「人間によって作られた,ピアノという近代を象徴する楽器が,津波という自然の力によって,楽器としての機能を失ったことは,当初,坂本に「音楽の死」を思わせるほどの印象を与えました.海水に漬かり,いくつかの鍵盤からは音が鳴らなくなり,調律することもむずかしい,修復不能となったピアノにたいして,やがて坂本はその印象を変えてくことになりました.そして,このピアノを「自然によって調律されたピアノ」としてとらえ直し,世界各地の地震データによって演奏することで,新たに地球の鳴動を感知させるためのメディアとして「転生」させることを試みたのです」(畠中実)

私も2017年にこの場を訪れ、この文面の記憶もあるが、坂本さんには、そして受け手の私にも「その後」があった。それを含めて振り返る今、この一文は更なる説得力を増して迫ってくる。

「もの派」への共感

このイベントのキービジュアルに据えられた津波ピアノを「モノ」と捉えた坂本さん。彼が表現として試みたこと、残そうとした想いは、李禹煥(LEE Ufan)さんとの関わりからなのだろうか。

李禹煥(LEE Ufan)さんの作品(2022)。坂本さんの病気快復を祈って描かれ、個人的に贈られたドローイング(左「祈り」)。生前最後のオリジナル・アルバムとなった『12』のジャケットのために描き下ろされたドローイング(右「遥かなるサウンド」)

60年代後半から「もの派(自然物をあるがままの形で見せる芸術運動)」の中心人物として活動した李禹煥さん。もの派の実践とは、木や石といった自然素材と、紙や鉄材、ガラスなどの工業製品といった「もの」のあいだに自分の意思を介入させることで、素材同士の新たな関係性を提示するという試みとのこと。

例えば、弦と弓。全く異なる物質が擦りあわさることで生まれる音。2017年発表のノイズやサンプリングした日常音を彫刻したようなアルバム「async」の制作者の一人が話していた「無から有が生まれる瞬間に異常なこだわりを見せた坂本さんは、音がいかに消えるか、減衰してゼロになる瞬間の位置にもこだわりを示した」このエピソードも、彼のもの派への共感につながるのかもしれない。

「そよぎ またはエコー」 トリビュート・ヴァージョン

美術家の毛利悠子さんが、「札幌国際芸術祭 2017」の準備のために行なった石狩川河口から上流へ、音威子府(おといねっぷ)(おといねっぷ)まで北上する旅にて「朽ちながらもいまだ生々しく存在するさまざまなモノたち」に触発されて、時間や環境によって摩耗し、風化していく、ピアノや街路灯などさまざまなモノの様子を音の現象として変奏するインスタレーション。タイトル「そよぎ またはエコー」は、ヴァルター・ベンヤミンの「歴史の概念について(歴史哲学テーゼ)」に由来している。

坂本さんは、彼女の作品のために楽曲を提供した。トリビュート・ヴァージョンでは、その曲が自動演奏ピアノで演奏されていた部分を中心に再構成したヴァージョンが展示されている。

「そよぎ またはエコー」毛利悠子さんの作品(2017/2023)

この「トリビュート・ヴァージョン 2023」で私が感受したのは、会場に響く「ビヨーン」というような不定期な音とともに遠くで響く坂本さんらしき人によるピアノの音。上の帯のような白い紙と作品のブラシの関係が不思議で、作品としては、上の方で回っている紙の皺などを読み取った信号でブラシが動いていて、ブラシが金属の棒に当たるとすごく小さな音が生じ、その音を増幅させてスピーカーに流していることで完結している。

私が聞き取った「かすかに聞こえるピアノ音」は、連携しているわけではなく別の展示室から聞こえてきた音。つまり、壁の向こうの上映作品音が偶然かぶさっているだけで、学芸員さんに伺ってみると「そんな偶然性も、坂本さんは好んでいたかもしれませんね」と答えてくださった。

紡がれていく芸術の始まり 「坂本龍一 トリビュート展」 〈後編〉(2月27日公開)

この記事を書いた人

牟田由喜子

瀬田に移り住んで20年余り。二子玉川地域の魅力をしみじみ味わう今日この頃です。

早春には、多摩川河川敷や兵庫島の牧水たんぽぽ碑付近、タマリバタケ、玉川野毛町公園などでタンポポ・ツアーを実施したり、自然観察することで、みんなで社会や環境課題に向き合いたいと思っています。

人も自然も未来に続く日常のために、地域を愛でつつ、学び合い、対話を重ねる時間を大切にしたいという想いを込めて、サイエンス・ワークショップなども実施しています(^^♪