【生きることはアートだ!2】タマリバーズ~ふたこのわたし~

1月27日・28日の2日間の4回公演でついに「タマリバーズ」の幕が閉じました。(このイベントについては、年明けからおっかけて記事にしてきたので、開催の詳細はバックナンバーをご覧ください。こちらクリック タマリバーズvol.7 レポート♯2「ふたこのわたし」キャラクターが二子玉川ライズに神出鬼没!次回は1/21(日)

「タマリバーズ・ふたこのわたし」クライマックスシーン

さて、地方から35年前に受験を経て進学した私にとって、「美大」というのは、まったく選択肢にない存在でしたが、学生時代はアナウンス研究会というサークルに属しており、また、学生演劇が全盛期(だったと思う)の1980年代だったので、大学でやったことと言えば、サークル活動、アルバイトも含め、その時間のほとんどは「番組作り」「イベント作り」のようなものに費やしていました。そのようなことは、私の中では、「遊び」だったわけですが、美術大学というのが、そのことを「授業」としてやっていることにまずは心を動かされました。

ガレリアの大きなスクリーンも「タマリバーズ・ふたこのわたし」一色

そのことは、夏に同じ多摩美術大学の作品展をレポートしたときにも思い、うらやましくもあり、みなさんにお伝えしたいな、とも思いました。

舞台芸術学科の生徒さんが制作したと思われる衣装がすごい。
ひろばの舞台まで、二子玉川中を練り歩いてきた役者さんたち。
「船頭さんをしりませんか?」とまちで人探し。

私は、子どものとき、地方にいましたが、今は全国に展開されている「おやこ劇場、子ども劇場」の活動が始まった当初の「おおいた子ども劇場」にはいっていました。1966年に福岡で始まったいわゆる劇場活動が、自分の住むまちで始まった1970年からの会員で、小学校を卒業するまで続けていました。母は、設立当初のメンバー。当時、主婦だったのですが、祖母が「子ども劇場に就職してるみたいやな」と言っていたのを覚えていますので、この活動に相当力をいれていたのではないかと思います。

子どもだった私は、なんだかわからないけど、毎月文化会館でコンサートや演劇を見たり、人形劇の人形を自分で作ったり、夏には行く前から何度も子ども同士で打ち合わせを繰り返してキャンプに行ったり、おまつりでは城壁からロープに通した竹を握って滑りおりたり、「人間狩り」というすさまじい遊びをしたりしました。中学では世界がガラッと変わってしまったのですが、この小学生くらいの幼い頃に「子ども劇場」での体験~プロの演劇を生で舞台にかぶりついて観る、とか、生のプロの歌や演奏を聴く、とか、自分でお話しを作って人形を作って人形劇をやる、とか、子どもたちで計画してキャンプで料理を作って失敗する、とか、~そういういろんなことが、自分の「生きる」につながっているんだろうなあ、と思うことがあります。

開演前には、舞台の横で、ワークショップ。たくさんの子ども、大人が参加していました。

そのことは、私の心に常にあって、自分の子ども達も、大阪で豊中子ども劇場、東京ではこども劇場せたがやの会員でしたし、自分が映画、演劇などが大好きでしたので東京では子ども達を引きずりまわして舞台を観に行きました。

小学校の学芸会に行くと、子ども達が舞台の上でとても上手に演技していたりします。保護者の方は上手にセリフを言ったり、演奏をしたりする子ども達を観て目を潤ませたりすることもあると思います。そして「先生のご苦労を思うと・・」とおっしゃる方もいます。確かに、舞台を一つ作り上げるのは大変で、指導者のご苦労は多かろうと思います。実際に舞台、というのは、演じる役者だけでできているのではありません。

ワークショップは船頭さんの笠にみたてた紙で作る。細かい準備がしてあってビックリ。

タマリバーズでも、脚本を書く人、衣装を作る人、大道具を作る人、ミキサー(音響)をいじる人、全体の動きをまとめるプロデューサー、それを補佐する人、チラシをデザインする人、広報する人、などなど舞台には表れない見えないところでもたくさんのやることがあります。

当日パンフレットも素敵。
あちこちにあるのぼりは、竹の竿がついていて、のぼりのデザインもいい。

そして、このタマリバーズは、まちの「二子玉川ライズ」さんと協働で開催され、まちの広場での演劇。学生さんたちには、まちで働く人たち、まちで住んでいる人たちとの対応も求められます。

事前募集で集まったまちの役者?さんははっぴを着て山車を引っ張る。
ラストシーンは飛び入り大歓迎で、役者、観客のおとな、こども、みんなで盆踊り。

最近、「アクティブラーニング」を小中学校でもすすめていこう、という動きがみられます。そのむかし、「総合学習」という科目が導入されたとき、確か「生きる力をはぐくむ」というのを目的としていたと思いますが、また、言葉を変えて同じような意味で注目されているのかなとも思います。「アクティブラーニング」=「能動的に取り組む学習」。この、タマリバーズを開催している学生さんたちは、どの子(失礼、もう子どもではないけれど、あえて)もイキイキとその役割、「授業(学習)」にまさに「能動的」に取り組んでいました。

花魁役の子。きれいでした。奥の弁士さんは、全編のすべてのセリフを声色を使って淀みなく進行。すごい。

舞台で何かみんなと一緒にやらなくちゃいけない「学芸会」がゆううつで、という子ども達もいるかもしれません。でも、舞台は、演じる役者だけではできないのです。小学校の学芸会も、先生たちがご苦労を捨てて、子ども達に最初からまかせてしまえばいいのに、と思うことがあります。周囲の大人たちは、子ども達が能動的にやることを見守って手助けできたらいいと。まずは、何をやるか、から。保護者の人、まちの人、に一年の自分たちの成果をみてもらうのにふさわしいものはなにか。歌なのか、劇なのか、踊りなのか。クイズなのか。

広場演劇、「ふたこのわたし」を題材にうまくステージ=広場を使っていた

みんなで話し合って、まとめて、分担して・・。リーダーになって話をまとめるのが上手な子もいるだろうし、何も言えない子もいるだろうと思います。でも周りの子を気遣える子もいるだろうし、絵の上手い子や、ひょうきんな子、声の大きい子、小さい子、楽器が弾ける子、足の速い子、作り話が上手な子、発想が面白い子、いろんな子がいると思います。みんなが同じことをする必要はないし、全員が役者になる必要もないような気がします。ある子が、「やりたい」ということをやれる役割がまわってくれば、能動的に楽しくできるような。

へさきにいるのは「タマちゃん」かな?大道具も、さすが舞台芸術をまなんでいるだけのことはある素晴らしさ。

「能動的」に動ける、原動力は「好き」という気持ちかもしれません。物に対してでもいいし、人に対してでもいいし、事に対してでもいい。「好き」という気持ちに人が動かされるのであれば、たくさんの「好き」をみつければ、「アクティブラーニング」につながるような気がするし、そうであれば、大人は子ども達の「好き」をみつけるお手伝いをすればいいだけ。

いつまでも、追いかけていきたい感じ。

自分にあった、自分の「好き」な表現方法を使って、誰かの心を動かせば、それは、まさしく「アート」。そして、「人」は表現する動物。

どこにいっちゃうんだろう・・・。

やっぱり、「生きることは、アートだ!」

いろんな「わたし」に出逢えて、いろんなことを考えました。

みなさん、ありがとう!また、観たい。

【生きることはアートだ!♯1】歌川国貞展&パリジェンヌ展

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この記事を書いた人

ゆか

サラリーマン時代に東急ハンズ玉川店、玉川高島屋を担当し、ここいら辺が気に入って移住。岡本の坂下に住み、母となり産んだ子どもたちはもうオトナ。2005年から鎌田で子どものアトリエを始め、2016年に大蔵5丁目「ゆいまあると3つの磁石」に引っ越し「子どものアトリエ」「映画とキャラメル」など、よくわからないことを展開中。NPO法人せたがや水辺デザインネットワーク事務局。