この春、中2になる男の子。小学校1年生の時、初めての学校のおまつりで、いろんなことがうまくいかなくて、食べ物をゲットできずおなかが空いていた時のこと、いい匂いがして、行ってみたら校長先生がラーメンを作っていた。「ラーメン食べるか?」と校長先生に聞かれて、お母さんにお金を貰いに行って戻ったら、閉店時間だった。「ゴメン、なくなっちゃった、来年おいで」と校長先生は言った。
果たして、翌年、先生は退職されて、ラーメンやさんはおまつりに出店しなかった。
少年は6年生になり、『ラーメン食べられなくてザンネンだったけど、あの時優しく声をかけてくれた先生のこと忘れていません、』と、歴代校長に卒業文集の寄稿文を依頼する手紙に書いた。
元校長は、なんとしても、その少年にラーメンを食べさせなくては、と思った。
私は、一時期大阪で子育てしていたのだけど、長女が小学4年生、次女が幼稚園年長の時、東京に戻ってきた。戻って来て次女の幼稚園で父母会の会長を務め(いつの日からこのことも語れるだろうか)長女小学5年生、次女小学1年生で、PTAの校外委員となり、確かクジ引きかなんかで岡本地区の班長になった。(思えば、このことが、今の私にものすごい影響を与えているのだけど、今回はいろいろ割愛。)
ラーメンの校長先生との出会いは、校外委員、PTA本部書記、とPTA活動を始めて、副会長になった時だった。出会いはひどいものだったのだけど(「ゆかちゃん震度5」と言われたのを記憶)その後、PTA会長、校外委員長、みなみまつり実行委員長とPTAに関わっていた間、本当に先生にお世話になった。
その校長先生は、PTAが主催する小学校のおまつりを「宝」と言ってくれた。先生たちが土曜日のおまつりに出てくれるよう尽力してくれた。(子どもたちは、大好きな先生がおまつりに来てくれたら嬉しいけど、先生のお休みの日におまつりは開催されていたから…。)そして、おまつりを盛り上げようと?、校長先生もラーメン亭を出店してくれた。
私の娘が卒業する年、校庭にビオトーブを作りたいと言ったら、守山小学校まで一緒にビオトーブを見に行ってくれたし、会の代表になることを引き受けてくれて、日曜日の活動にも参加してくれた。(砧南グリーンズ、みんなのみなみ池の発足である)。思い出したら書ききれないくらいお世話になった校長先生。
私が小学生の保護者でなくなって8年。先生が校長先生でなくなってから6年。幻の『ラーメン』が、1日だけ『ゆいまあると3つの磁石』に開店して、この春中学2年生になる少年が小学校1年生の時食べそこなったラーメンを、美味しい美味しいと言って食べた。
このことが、実現したことには、ほんとうにいろんなことの積み重ねと繋がりがあると思う。一見その時は何のためなのか、このことは意味があるのか、わからなかったりするのだけど、何年も何年もあとに、ああ、やっててよかったな、と思えることに繋がっていたりする。
何かモノゴトにとりかかる時に大切なのは「やらされているという感じがない」ということじゃないかと思う。シゴトにしても、子育てにしても、PTA活動にしても、まちのことも、「好き」とはまた少し違って、やりたいわけじゃないのかもしれないけど、「それをやろうと自分が思った」ということが大切なんじゃないかなと。
できることをできる時にできるだけ、でも人まかせにしないこと、やりたいことをやりたいように、やりたいだけ、でも自分でやってみるのがいい気がする。
そういうことを思いおこさせてくれたラーメン。結局、元校長先生に逢いにきた小学生、中学生、高校生、オトナたち、15人くらいの人がそのラーメンをワイワイと食べて、とてもステキな1日でした。
■ラーメンレシピ■
■スープ…野菜と豚バラ肉を適当に切って鍋に入れ、野菜が柔らかくなったら、市販のつゆの素を入れて味付けするそう。(玉ねぎ、ジャガイモ、ネギ、が入っていました)
※市販のつゆを使わなければ醤油、味噌で味付けしてみよう〜塩が決め手かな。
■麺…今回は菊水の麺でした。(下見の時はマルちゃんでした)
■トッピング…味付けタマゴ、ほうれん草、もやし、メンマ、長ネギなど。
どうぞのごはん♯6 カレーライス
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