川さんぽ♯6 台風の翌朝に

それぞれが不安な夜を過ごして、それぞれの朝を迎えた13日早朝。枕元のモバイルが鳴って、瀬田中学校に避難していた友人が家に戻ったとの知らせ。戻る途中にまちや、河川敷の写真を撮って送ってくれました。

夜は静かだったので眠っていた私ですが、もぞもぞとこれまた枕元のラジオのスイッチを入れました。聞こえてきたのは、ラジオ体操。ああ、今日も、新しい朝が来た、希望の朝だ。この2日間、ずっと聞いていたラジオから、ラジオ体操。なんだか「ありがとう」の気持ちでいっぱいになり、「おはよう、富士山が見えたよ」という友人のメッセージに、着替えて外へ飛び出しました。

通称みどり坂からの富士山(正式名称富士見坂)
国分寺崖線の上のおうちのみなさんは、早朝からお掃除をされていました。なんだか、写真を撮るのもはばかられるような美しい情景でした。
坂を下りた丸子川親水公園は、わきみずがいつもと変わらぬ感じでながれていました。
わきみずはいつものように澄んでいます
台風の前に備えていらしたのでしょう、畑もキラキラ。冠水もなく。
水道橋あたりは水位がさがっていました。
成城方面を臨む
吉沢橋からだと、少し水位は高め
破れた土嚢を片付ける方が。中身が白い。土じゃないのかなあ。
多摩川本流河川敷。せたがや水辺の楽校原っぱ付近は多摩川流域で一番河川敷が広いところですが、水浸し。
せたがや水辺の楽校原っぱから二子玉川方面を臨む
グラウンドも水浸し
多摩川本流から、野川~仙川方面に戻る途中に紫陽花発見。10月に紫陽花。初めて見ました。

長女中学1年、次女小学3年生だった平成17(2005)年の9月、仙川と野川があふれました。平成28年の3月の『世田谷区豪雨対策基本方針』によると、「平成17年9月4日の23区西部を中心にした時間100ミリを超える集中豪雨が発生しました。世田谷区内においても、野川・仙川や下水道から水が溢れだし、床上浸水221棟、床下浸水245棟におよぶ甚大な被害が発生しました。」とのこと。

左が砧南小学校。この川があふれた。

このとき、次女が通っていた砧南小学校は、体育館、パソコンルーム・昇降口などの校舎1階に水が入り込み、それは、翌朝にはひいていたのですが、植え込み、校庭に入り込んだ汚泥(ヘドロ)の臭いが一か月近く残っていたのを14年経った今でも覚えています。

去年の台風で、ここに立っていた桜が根こそぎ倒れた。鎌田区民センター(鎌田児童館)前。

今回の台風一過、澄み切った仙川にビックリ。「郡上(9月にみんなで行った岐阜県郡上市)の川(吉田川)かと思った!」と笑ったくらい。

底までよく見える仙川

今回の台風は、多摩川の水が、野川、仙川まで逆流はしてきたものの、それは、綺麗な水だったのでしょう。そして、溢れませんでした。私たちの住む場所より少し下流の玉川地域(二子玉川駅の近く)は、多摩川本流に近く、床上まで浸水したお宅も多くあったようですが、上がってきた水は綺麗だったそうです。

上総層が見える
水位はかなり低く、上総層が露呈しているところも

私の中では、やはり、自分の家の目の前が川のようになった(平成17年の大雨の時は、岡本3丁目のコヤマドライビングスクール成城校(当時は日産ドライビングスクール)の前の道がひざ下くらいまで浸水しました)時のことが印象が深かったので、今回も大丈夫かなあと心配ではありました。川のことに詳しいあめますさんに聞いてみたところ、今回は「上流でたくさん降った」ということのようです。あのときは汚泥で、今回は綺麗な水。都心で短時間にたくさん降ると、下水があふれるということなのかなあ、と思いましたが、いずれにしろ、次がどうなるかは、誰にもわかりません。

私は自宅マンションの3階で、長女は大蔵のアパートの2階(ゆいまあると3つの磁石)で友達と夜を明かしました。大蔵のご近所の風景も変わらず。

どうなるかわからないとき、人は不安になります。不安になったとき、不安を解消するのは、情報かもしれません。そして、いちばん大切なのは、「繋がっている」ということかな、と思いました。ひとりぼっちにならないこと。誰かといっしょにいること、連絡をとりあうこと。そういう仲間がいるのはありがたいなあ、と思いました。

「静かになったから、朝の4時ごろ川を見に来たの」「濁流がゴーゴーしてて、怖かった」今回の台風、2011年の東日本大震災を思い出した。それぞれ中学生、高校生だったふたり。大人たちより鮮明にあの震災の時の不安を覚えているに違いない。ホッとした笑顔がまぶしかったのでパチリ。

結局、あしたは、どうなるか。誰にもわからないからね。

名称
仙川 しみず橋付近
所在地
東京都世田谷区大蔵4丁目1

この記事を書いた人

ゆか

サラリーマン時代に東急ハンズ玉川店、玉川高島屋を担当し、ここいら辺が気に入って移住。岡本の坂下に住み、母となり産んだ子どもたちはもうオトナ。2005年から鎌田で「子どものアトリエ」を始め、2016年に大蔵5丁目「ゆいまあると3つの磁石」という場を開設、「子どものアトリエ」「映画とキャラメル」など、よくわからないことを展開。2021年、岡本から玉川4丁目の空き家(通称たまよん)に1年間入居。2023年、「ゆいまあると3つの磁石」近くに建った家に転居、「あめます舎」と名付けて家開きしている。NPO法人せたがや水辺デザインネットワーク所属。