それぞれが不安な夜を過ごして、それぞれの朝を迎えた13日早朝。枕元のモバイルが鳴って、瀬田中学校に避難していた友人が家に戻ったとの知らせ。戻る途中にまちや、河川敷の写真を撮って送ってくれました。
夜は静かだったので眠っていた私ですが、もぞもぞとこれまた枕元のラジオのスイッチを入れました。聞こえてきたのは、ラジオ体操。ああ、今日も、新しい朝が来た、希望の朝だ。この2日間、ずっと聞いていたラジオから、ラジオ体操。なんだか「ありがとう」の気持ちでいっぱいになり、「おはよう、富士山が見えたよ」という友人のメッセージに、着替えて外へ飛び出しました。
長女中学1年、次女小学3年生だった平成17(2005)年の9月、仙川と野川があふれました。平成28年の3月の『世田谷区豪雨対策基本方針』によると、「平成17年9月4日の23区西部を中心にした時間100ミリを超える集中豪雨が発生しました。世田谷区内においても、野川・仙川や下水道から水が溢れだし、床上浸水221棟、床下浸水245棟におよぶ甚大な被害が発生しました。」とのこと。
このとき、次女が通っていた砧南小学校は、体育館、パソコンルーム・昇降口などの校舎1階に水が入り込み、それは、翌朝にはひいていたのですが、植え込み、校庭に入り込んだ汚泥(ヘドロ)の臭いが一か月近く残っていたのを14年経った今でも覚えています。
今回の台風一過、澄み切った仙川にビックリ。「郡上(9月にみんなで行った岐阜県郡上市)の川(吉田川)かと思った!」と笑ったくらい。
今回の台風は、多摩川の水が、野川、仙川まで逆流はしてきたものの、それは、綺麗な水だったのでしょう。そして、溢れませんでした。私たちの住む場所より少し下流の玉川地域(二子玉川駅の近く)は、多摩川本流に近く、床上まで浸水したお宅も多くあったようですが、上がってきた水は綺麗だったそうです。
私の中では、やはり、自分の家の目の前が川のようになった(平成17年の大雨の時は、岡本3丁目のコヤマドライビングスクール成城校(当時は日産ドライビングスクール)の前の道がひざ下くらいまで浸水しました)時のことが印象が深かったので、今回も大丈夫かなあと心配ではありました。川のことに詳しいあめますさんに聞いてみたところ、今回は「上流でたくさん降った」ということのようです。あのときは汚泥で、今回は綺麗な水。都心で短時間にたくさん降ると、下水があふれるということなのかなあ、と思いましたが、いずれにしろ、次がどうなるかは、誰にもわかりません。
どうなるかわからないとき、人は不安になります。不安になったとき、不安を解消するのは、情報かもしれません。そして、いちばん大切なのは、「繋がっている」ということかな、と思いました。ひとりぼっちにならないこと。誰かといっしょにいること、連絡をとりあうこと。そういう仲間がいるのはありがたいなあ、と思いました。
結局、あしたは、どうなるか。誰にもわからないからね。
- 名称
- 仙川 しみず橋付近
- 所在地
- 東京都世田谷区大蔵4丁目1