新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の拡散防止対策において、私たちはいままさに重要な局面を迎えています。全世界でこの難局を乗り切らなければならないこのような状況は、特効薬が無かった時代に様々な不治の病や疫病平癒の祈りがあった頃とよく似ています。近頃はそうした思いからか、地域の氏神様として多くの人が訪れる瀬田玉川神社のご社頭にお参りに来られる方も増えているようです。
”こういう時だからこそ、日本人が古来より行ってきた「祈る」ということに思いを致し、そして「祈り」と共に忘れてはいけない「感謝」の心を思い出し、日々の生活をする時ではないでしょうか”(本文より)―――今回、特別に瀬田玉川神社(世田谷区瀬田4)の禰宜(ねぎ)高橋知明さまからご寄稿をいただき、二子玉川地域における「祈り」の場について歴史等を踏まえてご紹介いたします。 ※シリーズ全6回
1. 病気平癒・無病息災の神さま
世田谷区瀬田4丁目に「瘡守稲荷神社」(かさもりいなりじんじゃ)という鎮守の杜に囲まれた奥ゆかしい神社があることをご存知でしょうか。
二子玉川・瀬田の地域の氏神さまである「瀬田玉川神社」の飛地境内末社の瘡守稲荷神社は、瀬田玉川神社から北に歩いて約3分のところに、「稲荷神社前」という信号のある交差点があります。そこに欅の木を中心とした鎮守の杜があり、その杜の中に瘡守稲荷神社はひっそりと佇んでいます。
江戸城赤坂御門から、現在の伊勢原市にある大山阿夫利神社を結ぶ旧大山街道に面する瘡守稲荷神社は、古くから病気平癒・無病息災の神さまとして信仰されてきました。
「瘡」から人々を守る神社
「瘡」とは、腫物などの皮膚病や梅毒などの性病のことを指します。旧大山街道から多摩川を渡る場所には二子の渡しがありました。明治から昭和初期の頃、この二子の渡しを渡る手前の二子玉川界隈には、たくさんの芸奴置屋や料亭がありました。江戸の頃、東海道五十三次に登場する宿場町には、必ず遊女たちがいたものですが、明治以降は旧玉川村一体にも、いくつかの遊郭が存在するようになりました。
しかしながら、いつの時代も様々な病気は付き物。特効薬がない限りは神さまに、「病気にかからないように、病気が治りますように」というお祈りは欠かせないものでした。瘡守稲荷神社への信仰は厚く、一時期は関東一円から参拝者が訪れ、あらゆる病気を平癒する祈願をされる神社として崇められました。
現在では、地元の人たちを中心として稲荷講があり、毎年4月15日に例祭を行っています。15年ほど前までは、4年に一度は例大祭の年として、瘡守稲荷神社前の道路を歩行者天国にして、出し物をしたり、お店を出したりと、地域の人たちが集まり、賑やかにお祭りをしていました。時代共に稲荷講に所属する人たちも急激に減少し、お祭りをはじめ、神社を取り巻く環境を維持していくことが難しくなってきているのも事実です。
新型コロナウイルス発生の影響で、全世界でこの難局を乗り切らなければならない昨今の事情と、特効薬が無かった時代に、様々な不治の病や疫病平癒の祈りがあった頃とよく似ています。近頃はそうした思いからか、瀬田玉川神社のご社頭にお参りに来られる方も増えているように感じます。こういう時だからこそ、日本人が古来より行ってきた「祈る」ということに思いを致し、そして「祈り」と共に忘れてはいけない「感謝」の心を思い出し、日々の生活をする時ではないでしょうか。
便利な世の中になればなるほど、忘れてしまいがちなことがあります。
先ずは、この「鎮守の杜」に足を運び、静かに祈ることー。
そうした時間も、これからの私たちに必要なことだと感じています。
瀬田玉川神社シリーズ:瘡守稲荷神社#2 2つのニュース:世田谷名木百選と新しい鳥居の建立 に続く
文責 瀬田玉川神社 禰宜 高橋知明
※参考文献 『神道いろは』(神社新報社発行)
- 名称
- 瀬田玉川神社
- 所在地
- 東京都世田谷区瀬田4丁目11−31