futakoloco開設10周年記念|二子玉川「継続」のまちづくり①街の変化と現在地【中編】

前編:再開発から10年、二子玉川はどう変わったのかはこちら

中編:「継続」はどのように生まれ、続いてきたのか

三者対談の様子(2026年3月23日、東神開発本社)

この対談の中で最も繰り返された言葉は、「継続」だった。

ただし、それは「伝統」という意味ではない。

玉川町会が2002年11月に編纂・発行した「玉川町会70年の歩み」(参照: 玉川町会公式サイト)によれば、現在地域の中心となっているイベントや活動は、1980年代以降に始まったものが少なくない。

玉川町会公式サイト「歴史」ページ

「二子玉川盆踊り大会」(1982年)や「二子玉川花みず木フェスティバル」(1983年)も、その時代に形成された。

つまり、この街の「継続」は、遠い過去から続くものではない。

「顔が思い出せる世代」の中で積み上げられてきたものである。

中村は、その具体例として清掃活動「二子玉川クリーンタウン作戦」を挙げる。

「二子玉川クリーンタウン作戦」は、1999(平成11)年に二子玉川駅周辺が「世田谷区環境美化推進地区」に指定されたことを契機に、毎月おおむね第1金曜日に実施されている。玉川高島屋S・Cや二子玉川ライズのテナント各社、東急などの在勤者、玉川警察署や世田谷区などの行政職員、そして世田谷区立二子玉川小学校の児童(3年生〜6年生)とその関係者(PTAを含む)など、地域の多様な主体が参加している。

この活動は、1990年に実施された「統一美化キャンペーン ゴミゼロデー」などを起点に20年以上続いており、その結果として街のゴミは大きく減少した。また、「子どもが関わることで、大人の行動も変わっていった」という。

「今はゴミを探す方が大変なくらい」という中村の言葉は、その継続の結果を端的に示している。

同様に、防犯パトロールや防災活動も長期間続いている。

重要なのは、それらが制度としてではなく、地域の習慣として定着している点である。

山室は、この状況を「やっている人だけでなく、見ている人にも影響する」と捉える。関わらない人も、その活動の存在によって街の価値を認識していると話す。

一方で、企業側の関与は一様ではない。

再開発後に二子玉川へ進出した企業も含め、地域との接点を模索する動きはあるものの、中村からは「継続的ではないことが多い」という率直な指摘もあった。

その背景には、企業と地域コミュニティとで、活動の位置づけや目的の捉え方に違いがあることも示唆された。

企業にとっては数ある活動の一つであっても、地域にとっては日常を支える営みである。そうした認識の差が、関与の継続性に影響している可能性がある。

ここで見えてくるのは、継続は構造ではなく、「関係性」によって成立しているという事実である。

二子玉川の「活発な街」の根幹は、「仕組み」ではなく、「続ける人がいること」そのものにあるのではないだろうか。

玉川髙島屋の人気スポット、地域のオアシス「屋上庭園」で(3月23日)

後編:これからの二子玉川に、何を残すのかに続く(4月24日金曜日公開)

本記事は、二子玉川の地域メディアfutakoloco開設10周年記念企画「二子玉川『継続』のまちづくり」シリーズの一環として掲載しています。

2011年の東地区再開発第1期、2015年の第2期完了から約10年。街の骨格が整った現在、二子玉川は「つくる街」から「育っていく街」へと移行する段階にあります。

本シリーズでは、街の継続の構造と現在地を捉え直します。企業と地域をはじめとするさまざまな立場からの発言を通して、街の見え方の違いと共通認識を可視化します。

本企画は、2026年度を通じて、2027年3月10日に向けて継続的に展開していきます。これまでに掲載してきた関連記事とあわせてご覧ください。

この記事を書いた人

フタコロコ編集部

フタコロコ編集部による発信アカウントです