中編:「継続」はどのように生まれ、続いてきたのか

この対談の中で最も繰り返された言葉は、「継続」だった。
ただし、それは「伝統」という意味ではない。
玉川町会が2002年11月に編纂・発行した「玉川町会70年の歩み」(参照: 玉川町会公式サイト)によれば、現在地域の中心となっているイベントや活動は、1980年代以降に始まったものが少なくない。
「二子玉川盆踊り大会」(1982年)や「二子玉川花みず木フェスティバル」(1983年)も、その時代に形成された。
つまり、この街の「継続」は、遠い過去から続くものではない。
「顔が思い出せる世代」の中で積み上げられてきたものである。
中村は、その具体例として清掃活動「二子玉川クリーンタウン作戦」を挙げる。
「二子玉川クリーンタウン作戦」は、1999(平成11)年に二子玉川駅周辺が「世田谷区環境美化推進地区」に指定されたことを契機に、毎月おおむね第1金曜日に実施されている。玉川高島屋S・Cや二子玉川ライズのテナント各社、東急などの在勤者、玉川警察署や世田谷区などの行政職員、そして世田谷区立二子玉川小学校の児童(3年生〜6年生)とその関係者(PTAを含む)など、地域の多様な主体が参加している。
この活動は、1990年に実施された「統一美化キャンペーン ゴミゼロデー」などを起点に20年以上続いており、その結果として街のゴミは大きく減少した。また、「子どもが関わることで、大人の行動も変わっていった」という。
「今はゴミを探す方が大変なくらい」という中村の言葉は、その継続の結果を端的に示している。
同様に、防犯パトロールや防災活動も長期間続いている。
重要なのは、それらが制度としてではなく、地域の習慣として定着している点である。
山室は、この状況を「やっている人だけでなく、見ている人にも影響する」と捉える。関わらない人も、その活動の存在によって街の価値を認識していると話す。
一方で、企業側の関与は一様ではない。
再開発後に二子玉川へ進出した企業も含め、地域との接点を模索する動きはあるものの、中村からは「継続的ではないことが多い」という率直な指摘もあった。
その背景には、企業と地域コミュニティとで、活動の位置づけや目的の捉え方に違いがあることも示唆された。
企業にとっては数ある活動の一つであっても、地域にとっては日常を支える営みである。そうした認識の差が、関与の継続性に影響している可能性がある。
ここで見えてくるのは、継続は構造ではなく、「関係性」によって成立しているという事実である。
二子玉川の「活発な街」の根幹は、「仕組み」ではなく、「続ける人がいること」そのものにあるのではないだろうか。

後編:これからの二子玉川に、何を残すのかに続く(4月24日金曜日公開)
本記事は、二子玉川の地域メディアfutakoloco開設10周年記念企画「二子玉川『継続』のまちづくり」シリーズの一環として掲載しています。
2011年の東地区再開発第1期、2015年の第2期完了から約10年。街の骨格が整った現在、二子玉川は「つくる街」から「育っていく街」へと移行する段階にあります。
本シリーズでは、街の継続の構造と現在地を捉え直します。企業と地域をはじめとするさまざまな立場からの発言を通して、街の見え方の違いと共通認識を可視化します。
本企画は、2026年度を通じて、2027年3月10日に向けて継続的に展開していきます。これまでに掲載してきた関連記事とあわせてご覧ください。






